私とパキスタンの出会いは、06年の4月。クロスロードの表紙の写真。崩れかけたつり橋を渡る荷物を持った多くの人々。後ろからは、車も。なぜ?そのとき初めてパキスタンの地震のことを知った。そしてその数ヶ月後、地元大分での船尾さんのパキスタンの写真展。その中で見た、子どもらのはにかみや笑顔の写真。そして、あの時の橋の写真。何か縁を感じ、パキスタンってどんなとこ?そこに住んでる人って?一度この目で見てみたい。そんな単純な動機でのツアー参加であった。
ツアーに参加する前と後で私の中で変わったこと。それは、「パキスタン」という言葉を聞いた時に、思い浮かぶ顔があるということ。私の中で印象に残った出会いをいくつか。
最初の避難テントの中で。私の手をとって、家族の下へ連れて行ってくれた、12歳くらいの女の子。自慢そうに家族を紹介してくれた。父親は車椅子を指差し、「これは、日本製だ!」と日本語で書かれた文字を指さし、合掌。日本人として素直にうれしかった。もっと話したかったなあ。
スリルスッチャにて。帰り際、日本から持参してくれていた、毛糸の帽子と手袋を渡す。予想以上に人が集まり、混乱気味。「一人にひとつだけ!」と声を出し、疑いの目で子供らを見る自分が、悲しい。そんな気分のまま、口数少なく車へ向かっていると、2,3人の女の子が追いかけてくる。手には先ほど渡した、毛糸の帽子と手袋が。もらい過ぎたと返しに来たらしい。私たちが出た後、何が話し合われたのかは、想像するしかないが、何か考えるところがあったのだろう。さまざまな思いがめぐった一日だった。
河原のテントにて。環境的には一番整っていない場所だった。そのテントの中にダウン症の女の子。親戚と共に暮らしているらしい。言葉もなく私を見つめるのは、ほかの子どもらと同じ。でも、私を見る目が一番優しかった。私の手遊び歌を最初にまねてくれたのも、彼女だった。悲惨といわれる生活の中でも、皆と同じように生活している姿にほっとした。
震災で家族のほとんどをなくし、言葉も表情もなくしていた男の子。ボール遊びで、飛んでいったボールを必死で追いかけてくれた男の子。こわごわ私に近寄るものの話しかけると飛んで逃げる女の子たち。歌をうたって迎えてくれた子どもたち。ぎこちなく皿を運び、目が合うとにっこり微笑んでくれるウエイター、などなど。
思い返すと数え切れないほどの顔が浮かんでくる。充実した日々だった。
ただ、頭の中では、いろんな問いが、ぐるぐる回っていた。軽い気持ちで参加した私でも。軽い気持ちだったからなのかもしれないが…なぜ、私はここにいるのか、彼らに悪影響を与えているだけなのでは。ボランティアってなんだろう。人に何かを施すことのこの決まり悪さはどうしてだろう。人の幸せって、本当の強さって貧しさって何だろう、などなど。頭の中のもやもやを一緒に旅した人々と語り合う中で、刺激を受け、見えてきたこともあった。
他の国に足を踏み入れる、ということは、いい意味でも悪い意味でも、相手に影響を与える。ふっとそんなことを考え、自分のしていることが恐ろしくなる。でも、私たちは、影響しあい変化しながら生きている。誰かを傷つけずに生きていくってことはないのかも。たった一つの真実はなく、それぞれの事実があるように。だからこそ、自分の目で見ることを大切にせねばと思う。
震災前のパキスタンの姿を知らない私としては、今回見た、感じたパキスタンの姿が、私にとってのパキスタン。今のパキスタンに必要なものは何か、私には正直よくわからない。そこは、人がたくましく、したたかに、強く、生きている国だった。ただ、弱い部分が弱いまま取り残されているのも事実。私とパキスタンの関係は、今始まったばかり。この縁を大切にしたい。
私のであった人々が、子どもたちが、皆、“楽しい”日々を過ごすために必要なことはなんだろう。私のできることを一つずつ、自己本位に、ゆっくりと続けていきたいと思う。




