12月27日
バラコットのテントで授業を再開している小学校を見学に行く。ここは私立学校で、コーラン聖典の読み書きの授業なども行なわれていた。ふいの来訪者にもかかわらず、授業の様子を見学させていただいた。今回のスタディツアーの参加者のうち2名は現役の中・高の教師。やはり専門ということもあって熱心に見学され、また子どもたちと積極的に交わろうとされていた。すぐ隣には瓦礫となった学校の校舎がそのまま残されている。崩れた黒板やトイレもそのまま残っていた。ここでは幸いなことに死者は出なかったという。そのため
か、先生も生徒も表情はけっして暗くはなく、何か希望が見えるようだった。しかし副校長の話によれば、両親あるいはどちらか片親を失った子どもは相当数に登るという。その子どもたちのリストを作成してくれることになった。パラス村の帰りに受け取ることにする。パラス村に着くと、大勢の村人が私たちの到着を待ちかねていた。現在、小学校は再建中で、瓦礫の校舎の脇に木造の建物が2割ほどできていた。臨時で授業が行なわれているユニセフ提供のテントに入り、机と椅子を用意してもらって、孤児と同伴の保護者からひとりひとり家庭の事情や子どもの学校のこと、家族構成、震災の被害状況などを聞き取り調査する。親を亡くした子どもという点を最重視したのだが、なかには両親が再婚して現在はふつうの家庭になっている子どもが連れてこられたり、高校生で親を亡くした子どもが来たりと、当方の奨学金授与の趣旨とは外れた人たちも混じっており、そういう方たちにはお引取り願った。時間はかかるが、やはりひとりひとり実際に面接調査するというウジャマー・ジャパンの方針は、間違っていないと思った。それと大事なことは、学校の先生という第3者に中間に入っていただいたこと。現金を目の前にすると人間が変わってしまうのは洋の東西にかかわりない。嘘をついたり、自分に都合のよいように物語を作ってしまうことは十分に考えられること。少なくとも、先生が立ち会ってくれると、親を亡くしたという点だけは確認できる。ここパラス村の子どもたちの表情は、カシミールのスルリ・スッチャ村の子どもとはずいぶんと異なる。緊張しているもののしっかりと自分の言葉で受け答えできる子どもも多く、僕はそういう子を見るとうれしくなった。
(パラス村)
将来の夢を聞くと、たいていは恥ずかしがってしまうが、それでも小さな声で「ドクター」とか「教師」とか答える子どもを見ていると、こちらまで大きな希望がわいてくる。やっぱり子どもって、宝物なんだなあ、村の将来はこういう子どもたちにかかっているんだなあ、と目の前がぱっと明るくなるような気がした。そして自分たちの行為、奨学金を授与するという行動は、全面的に肯定することはできないものの、方向性は間違っていないことを確信した。パラス村の子どもの表情がカシミールとぜんぜん違う点は私だけの印象ではなかったようで、参加者やシェールも同じような感想を述べていた。結局、この日は16人に奨学金を授与することができた。地震のような自然災害によって被害を蒙るのは、それはカミサマの意思であるから仕方がない、復興も時間をかけてなるようになっていく、という考え方の人が日本には多いような気がする。たしかに家がなくなり、親を亡くしても、子どもは生きてゆくだろう。やがて彼らも結婚したり、親になったり、都会へ出稼ぎにいくことだろう。そのころにはすっかり地震の記憶もあいまいになり、それでも村は存続していくことだろう。だからそういう人たちのことを支援するといっても、何千人といる孤児の面倒を僕がすべて見ることができるわけではないし、何十年、何百年とたったら僕たちの行為そのものが忘却の彼方になるだろう。むなしさがないわけではない。でも人生というのもむなしさとの戦いなのだから、同じことなのだ。だったら、テレビの前に座ってああだこうだと口だけ動かすよりは、実際にからだを使って動くほうを選びたいと思う。それに親がいないからとか、経済的な理由だけで学校で学ぶことができず、そのためにその子の将来の可能性を摘み取ってしまうとしたら悲しすぎる。そんなわけで今回は合計31人の小学生へ奨学金を届けることができた。これもサポート会員になってくれた方々や義援金を寄せてくださった方、ポストカードを購入してくれた人たちの無数の人たちの協力のおかげだと思う。そして今回、実際にこうして被災地の現場へ足を運んでいただいた5名の方々には、本当に頭が下がる思いです。ありがとうございました。












