12月26日
メンバーにはせっかくはるばるとカシミールまで来ていただいているので、午前中はバザールを見学に行くことにした。マディナ・バザールというごちゃごちゃした雰囲気のバザールが中心部にある。車は入れないので、歩いてまわる。お茶や布など特産品のお土産を買ったり、雑貨屋を冷やかしたり。あいにくの雨模様だったが、1時間ほどぶらぶら歩きを楽しんだ。

ここから山越えのルートを取り、カシミール州からもうひとつの被災地である北西辺境州のバラコット市めざして進む。このルートは僕も初めて通過することになる。途中、土石流によって村がなかば埋もれている場所を通過する。押し寄せてきた土砂によって、建物や立ち木が半ば埋もれてしまっており、地震の被害が揺れによる建物の倒壊だけでないことをあらためて知らせてくれる。昼過ぎにバラコット市に到着。バラコットはもともとパキスタン人の旅行者によって栄えた観光地である。ここを起点にして、山奥のナラン・カガン谷へ入っていくと、美しい湖など風光明媚な場所があるからだ。新婚旅行先としても有名なところであった。そのためホテルも数多く営業していたが、地震でほとんどの建物は崩壊してしまった。外見はだからカシミールのムザファラバードよりも被害状況がわかりやすい。日本をはじめ各国の報道陣が地震の取材のためにこのエリアに入ったとき、ほとんどのメディアはこの街の崩壊した建物や瓦礫を放映した。すでに中心部のバザールは建物が再建されていたが、平屋のブロックづくりで、屋根はすべてトタン板を使用している。これならまた地震が来ても、人的被害は少なくなるだろうという配慮からだと思う。ところで、パキスタン政府は、次にまた大きな地震が来るだろうという理由で、このバラコットの街を廃止して、近くにニュー・バラコット市なる新しい街をつくる計画をぶち上げている。候補地はここからわずか20キロほど離れた場所。その話しを地元の人にすると「私たちが移住することなど考えられない! 祖先からの土地だもの」という返事が返ってくる。それにだいたい20キロほどしか離れていないから、ここが危険でそちらが危険ではないという説得力に乏しいと思う。噂で聞こえてくるのは、移転計画をめぐっての政治家の利権争い。どこの国も同じだなあ、と思わずうなづいてしまうのであった。バラコットからナラン・カガン谷のほうへジープ道路が延びている。目指すパラス村はここから25キロほどのところにある。昨年の4月にここを訪れたのは、周辺で聞き込み調査をした結果、パラス村付近が最も大きな被害を受けたと聞いたからである。雨模様のため、道路をはしっていると、急な斜面から石や砂がぽろぽろと落ち始めている。パキスタンの山岳部はどこもそうだが、渓谷に沿って道が拓かれているのだが、何百、何千メートルというものすごい崖なので、土砂崩れが日常的に頻発するのである。土砂がたまったデブリがいくつも出てくる。ドライバーがそういった危険箇所の前に来ると、車を止めて、じっと斜面の上の様子をうかがう。ぱらぱらと土砂が落ちているので、その間隙を縫って車を走らせないと、もし万一つかまってしまったら、眼下の数百メートル下の川に車もろとも転落してしまうからだ。そういう場所に、村人たちは暮らしているのである。そして地震の復興支援が最もあとまわしになるのは、そういうところに住む人たちなのである。政治家も行政の人もこんなところには視察にすら訪れない。彼らが顔を出すのは、バラコットなどの大きな街だけである。道が悪いので、パラス村に着いたのは予定よりかなり遅かった。これから奨学金の授与を行なうのは、時間的に無理がある。そこで、学校は休みだったのだが、村に住む小学校の先生を呼んできてもらい、孤児になった子どもたちへの奨学金を渡すので該当する人たちを保護者同伴で集めておいてほしいむねをお願いする。快く了解してくれたので、帰り道の土砂崩れが心配だったので、早々と引き返すことにした。





