ナラン谷の奥の村へ
バラコットからナラン谷をジープでさかのぼりながら、会う人ごとに情報を得ていきました。ひどい被害にあった村を探したのです。30キロほど行ったところにあるパラス村がどうやらこの近辺ではひどい被害を受けたところのようでした。
パラス村には再開されてテントで授業を行っている小学校がありました。校長先生が近くに住んでいたので話を聞くことができました。住民の多くはバラコット付近の避難民キャンプに出ていたが、数週間ほど前に帰還してきたとのことです。ムザファラバードで聞いた話と合致していました。
それぞれの家族は今、完全に倒壊してしまった自宅近くにテントを張って暮らしながら、少しずつ瓦礫を人力で除去しはじめているそうです。孤児の話をすると、この村にもそういった子どもは多数いるとのことで、校長先生が自ら近くの家族を案内してくださることになりました。
そうしてみたところ、やはりカシミールの村と似たような状況であることがわかってきました。両親のどちらかを亡くした子どもの多くは、学校に通っていませんでした。またある男の子のケースですが、もう学校には行きたくないと答えた子もいました。ここの小学校も全壊していますので、おそらくそれがトラウマになっているものと思われます。
いつのまにか夕刻になったので翌日また出直すことにして、そういった子どもを中心に調査することにしました。
このパラス村は山の斜面に民家が並んでいて、はるか上のほうにも人が住んでいるとのことです。そこで翌日、歩いて山のうえのほうの家を訪ねて歩きました。学齢期の子どもの多くはやはり学校には通っていませんでした。母親が亡くなって父親がひとりで子どもたちの面倒を見ているケースでは、父親が家を掘り起こしているすぐ横で子どもたちは遊んでいました。おそらくこの父親にとっては、子どもを学校にやることなど現在の状況では考えられないことなのかもしれません。



