バラコットの街へ
つづいてカシミールを出ると、最大の被害を出したといわれたバラコットの街も再訪しました。こちらは急ピッチで復興が進みつつありました。ブルドーザーがあちこちで瓦礫を崩しており、鉄屑商人たちがトラックで古物を回収していました。
400人近い犠牲者を出したバラコット高校はすでにバラックの校舎が完成していました。中心部のバザールは復興景気とでも呼ぶべきすごい混雑です。あちこちにカレーを食べさせるレストランがオープンしていました。また商店も9割以上が再開され、屋根にはまた地震が起きてもよいように軽いトタン板が葺かれていました。
この街へはイスラマバードから、山岳ガイドのサルワール氏と一緒に来ました。彼は地震直後に私が支援物資を持って被災地入りした際にやはり一緒に来てくれた人です。私は何度か一緒にカラコルムの山を歩くなど仕事を一緒にしたことがありますが、物腰の柔らかい信頼できる方です。
彼にカシミールの村の孤児の話をすると、バラコットの奥のナラン谷も道路不通が長く続いていたので同じような状況ではないかということでしたので、そちらも見に行くことにしました。
地震で亡くなった父親の墓に 参る息子と祖母(バラコット)。
バラコット郊外の避難民用テント村では、すぐそばに地震で亡くなった人の墓がつくられている。



