第1次支援活動

初めて被災地を訪ねる

第1次支援活動 写真05

 2005年10月8日の震災の日からちょうど1ヶ月経過した11月7日にパキスタンに入国した私は、その後、最も被害が大きかったバラコット市とアザド・ジャンムーカシミール州の州都ムザファラバード市を中心とする山岳地帯を1ヶ月弱にわたって訪ね歩きました。街道には援助物資を運搬する大型トラックが頻繁に往来し、バラコットやムザファラバードでは一日中アメリカ軍やパキスタン軍、それにNGOがチャーターしたヘリコプターが爆音を立てて飛び交い、まるで戦場のようでした。
最初にたずねたバラコット市は建物の95%が倒壊したといわれ、バザールには瓦礫の山が累々と続いており、郊外には政府やNGOが設置・運営する避難民用のキャンプがいくつもできていました。
ショックだったのは、高校跡を訪ねたときです。すでに重機が入って瓦礫は片付けられ、復旧作業中でしたが、校庭には大きな土盛りがありました。400名以上が亡くなったといわれるこの高校では、身元の確認ができなかった遺体が60体以上もあり、ここへ一緒に葬られたということでした。
どこへ行ってもどういうわけか学校の校舎はことごとく瓦礫となっており、日本のように耐震構造を考えて建てられていないことが一目瞭然です。

第1次支援活動 写真06

  今回の地震の特徴のひとつとして、児童・生徒の犠牲者数が多いことが挙げられます。これは地震の起きた時刻が午前8時過ぎで生徒が学校内に集まっていたことと、耐震構造のない校舎の建物が原因であると考えられます。ユニセフの推計では、すべての死亡者数8万7千人のうち、子どもは1万7千人とされています。
瓦礫の山を縫うように歩いていると、ときどき死臭が漂います。マスクをして歩いている人も多かった。これから重機が本格的に入って瓦礫は徐々にのけられていくとは思いますが、まだたくさんの遺体がその下に埋もれたままになっているのも事実です。

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